数か月を振り返って

今日は、1年近く会っていなかった友人に、久しぶりに、そして偶然に会う機会があった。
喫茶店で話をしながら、私はこの1年近くのことを振り返っていた。


亡くなった弟の誕生日に、生まれたばかりの猫と出会い、
その後一緒に暮らすことになったのは、今でもやはり不思議なことだったと思う。
その猫がいなければ、私の体調と精神状態がここまで好調になることはなかっただろうし、
今とは全く別の生活をしていたのではないだろうか。


その猫は、私がけっして果たすことができないと思っていた願いの一部をかなえてくれた。
私は、いつか弟と、また一緒に暮らすことを夢見ていた。
その夢は、普通の意味では、もはや実現する術はない。
だが、私にとって、その猫と暮らすことは、弟と暮らした日々との再会であり、
同時に再開でもあった。

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3回目の命日

今日は弟の3回目の命日だった。
早朝と昼に猫と一緒に公園へ行き、残りは家事をしたり本を読んだりして過ごした。


同居している猫は、弟の名前の半分を持つ。
そのため、猫と居るときには常に弟のことを身近に感じていると言って良い。
今日はその猫とずっと一緒にいた。
それで良かったのだと思う。


私は、常に最善を尽くして生きているため、いつ生の終焉を迎えても構わないと思っていた。
だが、猫と暮らし始めてから、それが揺らいでいる。
少なくとも、彼女(猫)の生が保証されない限り、その前に私の生を終わらせる訳にはいかない。
私が動かなくなったとしても、彼女の生が保証されるのであれば、何の問題もない。
だから、早くその状態に持って行かなければならないと思っている。


電灯を消し、小さな明かりに照らされた部屋の中で思う。
もし私が動かなくなったとき、猫はどう思うのだろう。
私がもう動かなくなった弟と同じ部屋で寝たときと、少しは似たような思いをするのだろうか。
そうなる前に、猫が頼れる人を探し、安心して暮らせる状態を作りたい。

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命日の前日

3か月ぶりに記事を書く。
この3か月は、体調はかなり好調で、仕事の方も概ね順調だった。
弟の誕生日に出会って拾った子猫とは、大切な家族として今も一緒に暮らしている。


体調に関しては、弟が亡くなってからの3年間近くで最も好調なのではないかと感じていたが、
2、3日前頃から、ときどき強い眠気を覚えるようになり、2日前の午後には全身の凝りや脱力感、
息切れ、軽い目の痛みなど、自律神経系の症状が久しぶりに再発した。
2日前に、たまたまインターネットでケーキを見ていたら、
ケーキを作るのが上手かった弟のことが強く思い出されたのが
再発の直接的なきっかけだったのではないかと思う。


とはいえ、昨日はゆっくりと体を休め、また猫と一緒に散歩へ行ったりして
心が落ち着いたためか、今はだいぶ楽になった。
この時期、家族の猫が側にいてくれて、本当に良かったと思っている。


明日、弟が亡くなってからちょうど3年になる。
実家へは正月に帰省する予定のため、命日には帰省しないことになっている。
ただ、実家に電話をして、近況を話したり、明日のことを話したりはした。
明日は、弟が出会わせてくれた猫と一緒に、一日を過ごすつもりだ。
弟を感じながら過ごす一日。
それだけで、私は十分幸せだと思う。

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近況

5か月ほど、ブログを更新していなかった。
主に体調と仕事の忙しさのためだ。
この期間のことを、かいつまんで書いておく。


5月は、あいかわらず仕事が忙しく、薬を飲み、仕事にときどき休みながら通っていた。


6月の間は、環境の悪い客先で仕事をすることになり、自由に休みを取ることもできなかった。
精神的にはそれほどきつくはなかったものの、6月末まで限界を超えたと感じながら働いた。


7月。客先から自社に戻って仕事をするが、かなり悪化した体調を元に戻すため、休暇を取ったり、
遅刻、早退を繰り返しながら仕事を続けた。
今の会社は、私のような状態のものにとても理解があり、その点では非常に助かっている。


そして弟の誕生日。
小雨の降る中、会社に向かう道で、片手の手のひらに乗るくらいの子猫が車道の真ん中にうずくまっているのに出会った。
子猫は酷い風邪をひいているようで、親猫や飼い主を探したが見つからず、いろいろあってその1週間後に保護をして私と一緒に暮らすことになった。
子猫には、弟の名前の半分をつけた。

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雨の夜

明け方に近い夜中に目が覚める。
外は雨が降っているようだ。
夜中に目を覚ますと、1か月ほど前まで、夜中に猫がトイレに行く時に、目が覚めていたのを思い出す。
胸の痛みは、今はそれほど鋭くはない。


数日前から、向精神薬を再び飲み始めた。
まだ数日なので、効果はまだ出ていない時期だと思うが、すでにいくつかの感覚が鈍くなりだしているように感じる。
眠気や胃部の不快感といった副作用についても、以前同じ薬を飲んでいたときもそうだったと思い出した。


先週末は、実家から叔父の葬儀に行ってきた。
色々な催しは夕方まであったが、列車の移動の疲れか、葬儀の間、壇の上にあった叔父の写真と、何度か対話したためか、強い疲労感を感じ、夕方になる前に、私だけ先に帰らせてもらった。
実家にもどってしばらく動けず、また自宅に帰ってからも、2日程、体調はかなり悪かった。

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体調と罪責感

久しぶりに、精神、肉体の両方が、かなり苦しい。
それなりに休養をとっているはずだが、頭痛を初めとした諸症状が治まらない。


先程から、猫が亡くなったことへの罪責感が膨れあがって来ているのを感じる。
亡くなる前の、彼の表情が目の前から消えない。
私は、もう少し我慢してね、明日の朝になったら、医者に行こうね、と声をかけた。
彼にとって、明日の朝など、来はしなかった。
そこに意識を向けると、軽い目眩と吐き気、寒気を感じるほど、気分が悪くなることが少なくない。


今朝は、知事選挙の立候補者に関する情報をインターネットで集めている最中に、自殺未遂者の書いた文章(おそらくブログの記事)を、いくつも読んでしまった。
私と同じく男の二人兄弟の弟の方で、私の弟よりも少し年下だった。
彼が自死するに至る心境、経緯を読んだ。
彼が死なずに済んだことへの喜びと、私の弟とは真逆の結果になったことへの、...たぶん、怒り、妬み、悔しさを、強く感じていたと思う。
2、3時間寝てから起きたが、体調はまるで良くなっていなかった。
それでも、投票、家事、散髪など、今日中にしなければならないことは山積みで、結局、頭痛に耐えながら、それらをこなしていった。

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夜桜の道

銭湯の帰り、道沿いの桜並木を見上げながら歩いてきた。
交通量の少ない道で、殆ど私の貸し切り状態だった。
以前住んでいた場所の近所にあった、川沿いの桜並木を、懐かしく思い出した。
帰りたい。
どこかに対してそう思ったのは、たぶん人生で初めてだった。


いつから、後ろを振り返るようになったのだろう。
大きな転機は、弟のことなのは間違いない。
それでも、以前住んでいた場所に帰りたいと思ったのは、これが初めてだ。
私は、今の生活が、不満なのだろうか。


夜の街灯に白く照らされる桜の花は、故郷に降り積もる雪を思い起こさせた。
亡くなった弟は、どうしているだろう。
冬の寒い日に亡くなり、寒い部屋で布団に横たわっていた彼の顔が、目に浮かぶ。
弟は、先日亡くなった猫は、元気にしているだろうか。
彼らは、そう遠くないところにいる。
ただ見えないだけだ。私はいつもそう思っている。

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ごめんなさい。

雨の中を、歩いて帰ってきた。
人気がなくなると、ようやく気が緩み、声を出して泣けるようになる。


昨日亡くなった猫は...まだ、昨日なのか...いろいろあって、何日も経過したようにも思う。
彼は、...比較するのは滑稽かもしれないが、落ち着き、風格、威厳、その風貌から思わされる人生は、私よりも遙かに深く、力強かったのではないかと思う。
私は、彼に比べれば、遙かに小さく、彼から見れば、おそらく子猫のようだったのではないだろうか。
私は、よく彼に甘えていた。
彼は、少し迷惑そうにしながらも、私が話しかけるのをじっと聴き、撫でたり鼻先を付けて挨拶をするのを受け入れてくれた。
私が部屋で何かするのを、棚の上から、鋭く、でも優しさをたたえた眼差しで、よくじっと見つめていた。
でも、最近は、目を伏せて眠っていることが多かったように思う。
私は、ただ元気がないだけかもしれないとも思っていたが、刻一刻と、彼の病状は、悪化していたのだろう。
私はたぶん、彼の命を奪ったという誹りを免れることはない。
普通の家族よりも、はるかにその命を左右する立場にありながら、私は、彼の苦痛を直視することができず、最後まで、都合の良い方向にばかり受け止めていた。
彼が願うなら、今すぐ私の命を奪ってくれても良い。
...まぁ、そんなくだらないものには、彼は興味がないと思うが。

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棚の上から

亡くなった猫を、公園に埋めてきた。
彼がよく日向ぼっこをしていて、来る人に食べ物をねだっていたベンチの傍にある植え込みの木の根元にした。
その木に、彼は恍惚の表情で、顔を擦りつけてマーキングをしていた。
その時の表情が、今も目に焼き付いて忘れられない。


帰ってきてから、少し気になって調べてみたら、ペットを公共の場所に埋めるのは、廃棄物の不法投棄となり、違法行為だったらしい。
私は、その猫のことを、ペットではなく家族だと思っていたが、法的には同じことなのだろう。
また、彼は元々公園で暮らしていたので、公園に戻しただけという気持ちはあるが、私が家で一時でも面倒を見た以上、これも、法的にはおそらくアウトなのだろう。
いつから、そんなことがうるさく言われるようになったのだろう。
一応、できる限り深く土を掘って、タオルをかけ、その上に土をかけてはきた。
それでも、処罰されるようなら、それに従うまでだ。
私は彼に、できる限り、彼が好きな場所でゆっくりと休んで欲しいと思う。

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別れと幸せ

引き続き、亡くなった猫のことを書く。
彼は、私に拾われて、家に置かれ、おそらくほんの少しだけ寿命が伸びた。
それは、幸せなことだったのだろうか。
もしその答えが、ノーなのかもしれないと思うと、意識が軽く途絶えかける。
環境的には、たしかに、公園でトイレの水を飲んだり、寒い外気の吹き込む場所で、震えながら夜を過ごすよりは、人の目から見れば、良い環境だったと思う。
お尻に汚物の塊がつき、排便できずに苦しみ、皮膚が炎症を起こして腫れ上がっていて、さらにたびたびくしゃみをして息をするたびに変な音がしていたのが、ほぼ見た目は何もなくなったところまで回復したので、その点についても、おそらく楽になったのだと思う。
だが...それは、幸せなのだろうか。
住み慣れた公園を離れ、いわば入院施設のような私の部屋に閉じこめられ、そこで私が見守る中、最期を迎えた。
...。
外見的なことで、本人が幸せだったかどうかを測ることは、けっしてできないだろう。
だが、本人は?

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